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メヘンディー。
写真の様に日常生活でも描かれるが、結婚式の時のものは、別格。
Wall Art Festival 2011に参加してくれたミティラー画家・Raj Kumar Paswanさんの奥さん。
photo by akko



















年齢がゆえか、今までにもまして知り合いのインド人との話題に「結婚」が出てくる。
「いつ結婚するんだ?」いやー、神のみぞが知るんじゃない?ととぼけると、
「真剣に考えないうちは結婚はできん。全くもって完全にする気がないなら、それでも結構。ただし、1%でも結婚したい気持ちがあるならば、もう時間はあまりなくなっているぞ」
結婚に年齢はそんなに関係ないと思う、と議論をふっかけるも、平行線を描くばかりであまり意味をなさない。(余計な)お世話、どうも~と話題をそらすのが常套手段になってきた。

地域によってもまちまちだが、一般的にインドの結婚式は、ド派手。
新婦が乗ってくる車は、生花飾りで煌びやかに飾られ、新郎が白馬に乗って会場にやってくるパターンもある。
数日間続く式のクライマックスには、お客さんに、何種類もの料理がふるまわれ(多種多様なカレー、主食は米、チャパティ、プーリー、そして甘々のデザート)、それが終わると縦揺れのインド・ポップミュージックで一晩中ひたすら踊る。 
ある程度のお金持ちの場合は、電飾を持った結婚式屋のスタッフが10人くらいで先頭を歩き、その後ろで、DJとスピーカーを乗せたトラックがミュージックを流しながら徐行し、親戚友人一同が踊りながら一般道路を練り歩きパレードをしたり。(本当のリッチクラスのパーティには入ったことがない)
とにかく、ここぞとばかりにお金を使う。

そんな結婚式のあり方に慣れ、あまり新鮮味を感じなくなってきた、むしろ騒がしさに辟易としてきた頃。
友人Kの結婚が決まった。
Kの家は、経済的に貧しかった。父母共に小作農で、兄弟姉妹が5人いた。彼は学校にある程度まで通い、それからは仕事をしていた。
「おれのうちはこんな風だから、結婚式は寺であげるんだ」
Kはそう言うと、芯の通った眼で僕を見た。いつもの底抜けにおどけた調子は朝霧のように消えていた。
ブラザー、Kは僕をそう呼ぶ。1度目にあった時の別れ際、ちょっとしたケンカ別れになった。2度目にあった時、Kが「ブラザー」と言って迎えに来てくれた。あの時から、どれだけのことを話したのか分からない。家庭、村、仕事、料理、恋愛、同年代の僕たちの間ではありとあらゆることが話題となった。下ネタでも盛り上がった。Kのネタは結構えげつなく、何度も大爆笑した。

式当日、彼の晴れ姿は他の結婚式で見られるようなキラキラしたものではなく、白いクルタだった。
けれど、身を清めるためのターメリック を親戚によって全身に塗られている光景には、愛情が感じられた。
僧侶を交え、儀式が始まると、親戚や友人たちが一堂に会した。儀式をずっと見守る人々。
奥さんになる人はベールの内側で号泣した。彼女の親戚も然り。
スピーカーから大音量で流れる縦ノリの音楽や、次から次に運ばれてくる料理からは生まれないだろう、親密な空気が漂っていた。これが幸せが生まれる瞬間なんだなと知った。

Kは今、日本のインドレストランで働いている。たまに電話で話すと、奥さんと一人娘の話で盛り上がる。「妹の結婚資金をおれが用意しなきゃいけねーからさ」とさらっと言う。そして、「結婚はいつするんだ。おれは店でいつもokazuってブラザーがいるんだと女の子に話す」と言う。「じゃ、誰か紹介してよ、ブラザー、」と、いつの間にか身に付いた冗談でいつものようにはぐらかす。

okazu